INTERVIEW

楽しんでいる⼈の周りに、⼈は集まる。⾃分の好きなことでまちに参加していく

2019.12.26

オンデザインパートナーズ代表 西田司(にしだおさむ)さん
一級建築士。横浜国立大学卒業後、建築設計事務所スピードスタジオを共同設立。2004年、オンデザインパートナーズを設立。現在は東京理科大学准教授、明治大学特別招聘教授、立教大学講師、グッドデザイン賞審査員も務める。2013年から2016年まで町田市の中心市街地整備計画策定検討委員会の一員として、まちづくり計画「“夢”かなうまち 町田」の策定に関わる。現在、芹ヶ谷公園の再整備にも参画している。著書に『建築を、ひらく』(オンデザイン著/学芸出版社)、『オンデザインの実験』(オンデザイン著/TOTO出版)、『PUBLIC PRODUCE 公共的空間をつくる7つの事例』(共著/ユウブックス)

東京都の南端にある、人口約43万人の都市「町田」。新宿から小田急線で約30分、横浜と八王子をつなぐJR横浜線も乗り入れ、横浜駅からも約30分と交通利便性は抜群で、1970年代頃から団地が開発されるに伴い、人口も増え続けて来ました。

かつては八王子で生産された生糸を横浜港へと運ぶ街道「絹の道」を中心に商業が栄え、やがてJRの駅が小田急線の駅の近くへ移転したのを機に、町田駅前には百貨店や大型商業施設が次々と開業。ピーク時には商圏人口300万人とも言われるほど、「買い物するなら町田へ」と近隣の市町からも多くの人が集まりました。

その町田が今、再び変化の時を迎えています。

日本全体が成熟期を迎える中、次の時代・世代に選ばれる街にしていくために、町田市でも多くの人々が、積極的に街のアップデートに取り組んでいます。今回のインタビュー特集では、町田のまちづくりに関わる立場の違う三者(行政・商店会・有識者)に、それぞれの視点から、町田への想いや取り組み、これからの未来について語っていただきました。

「まちの使い手」のためのまちづくりを

ヨコハマアパートメント(設計:オンデザインパートナーズ)/横浜市
(Via:http://www.ondesign.co.jp/city/housing/1/)

−西田さんの会社オンデザインパートナーズは、これまでいろんな地域のまちづくりに携わってきたのですか?

僕達はまちづくりをメインでやってきた会社というよりも、住宅の設計を主に手掛けてきた会社です。家の設計は、その人の暮らしについて話を聞いて、具現化するのが役目。大事にしているものが違うと家の形状が変わるし、暮らし方も変わる。それが面白いんですよね。そういう感覚を持ってまちへ入っていったんです。

今までの公共空間やまちにある建築は、画一的・均質的であることが多かった。道路の幅や建物の間口など計画先行型でつくられていましたが、これからはまちの使い手をイメージしてつくることが大切だと思います。つまり、実際にまちで暮らしていたり、そこで商売をやっている人達が「こういうふうにしていったら自分のいる場所はもっと良くなるんじゃないか」と思った時に、実現するお手伝いができるといいなと思っています。

横浜市「ヨコハマアパートメント」/設計:オンデザインパートナーズ(Via:http://www.ondesign.co.jp/city/housing/1/)

そう思うに至ったのは、2つの経験からです。

一つは、上の写真にある2009年に竣工した「ヨコハマアパートメント」での経験。この建物には入居者4世帯の共用部として土間があって、そこでBBQや鍋パーティー、夏は流しそうめんをしたりしているんです。この土間は前の道にも開かれているので、何かやっていると外を歩いている人が入って来たりするんですね。そうすると近所付き合いや街が少し「見える化」する。

昔は子どもが遊んでいると、お菓子をくれるおばちゃんや怒るおじちゃんがいて、まちの中の関係性がもっと目に見えた。ヨコハマアパートメントを通じて現代でもそれが起きるんだと知り、まちというのは「都市計画」などという大袈裟なものではなく、自分の日常の延長にあるんだなと気づいたんです。

石巻市 オープンシェアオフィス「IRORI」/設計:オンデザインパートナーズ(Via:http://www.ondesign.co.jp/city/renovation/397/)

>>「IRORI」の活動の様子はこちら

もう一つの経験は、2011年の震災後、石巻の復興に携わったことです。津波で街に水が入り、商店街は停滞していたんですが、若手は元気だった。今まで商店街に来なかった高校生を集めて空き店舗でアプリ開発をはじめたり、地域の女性達が、閉店した本屋で読み聞かせの会を開いたり、子ども達の勉強スペースにしたりしているのを間近で見たんです。僕らは設計するというよりも、彼らがやりたいことを実現できるように立ち上げを手伝い(専門家をつないだり、法規的にチェックしたり、物を運んだり、必要な場合は家具を作ったり)、そういうことを商店街の中で10件以上お手伝いしました。
 

石巻市 オープンシェアオフィス「IRORI」/設計:オンデザインパートナーズ(Via:http://www.ondesign.co.jp/city/renovation/397/)

>>「IRORI」の活動の様子はこちら

その時に、自分でこういう場が必要だと思ってやっている人のモチベーションは持続するんだなというのを感じたんです。自分の家に暮らしながら愛着を持っているのと同じように、まちの中のある場所を自分自身の力でちょっと良くしたという記憶や経験があると、継続的に関わり続けたくなるんだなと気がつきました。

他のまちにもこのエッセンスが活かせると思い、まちに合わせてアレンジしながら、いくつかのまちづくりをお手伝いしてきています。

リスクを恐れず、新しさを生産する人を育てよう

−最初に町田に関わった時の印象は、いかがでしたか?
 
まず非常にポテンシャルがあると思いました。中心街を歩くと若い人がたくさん歩いている、すごいな!と驚きましたね。そしてストリートカルチャー、いわゆる古着やクラブや音楽などの若者達のカルチャーが、定着し、かつ更新されている。そのカルチャーが若者の一定層を惹きつけているんだと思いました。

−「“夢”かなうまち 町田」の策定の時は、まだ人口が右肩上がりで増えていましたが、去年から人口減少が始まりました。町田のような郊外都市の未来はどのようになっていくと思われますか?

専門家としていろいろなまちに関わると、元気がないと皆が言っているまちで幅を利かせているのが、今までの成功体験に基づく既得権や所有欲に縛られた意見だったりします。例えばそのまちで新しいことを始めようとしている人に対して「安全性が担保できない」「なぜその人にやらせるんだ?不平等だ」などと言って芽を摘んでしまう。

町田は大学もあるし、若者もいるし、若い世代も移り住んできているんだけど、同じ轍を踏む可能性があるから気をつけた方がいいと思うんです。

郊外都市の未来が明るくなるには、新しくやってみたいことがある人がチャレンジしやすい環境・状況をみんなでつくっていくことが大事だと思います。新しいことを始める時はリスクが伴うのが当たり前。ゼロから8割をつくるのと、8割を10割に引き揚げるのは同じくらい大変だと言われていますが、ゼロから8割をつくることの価値を考えるのか、クレームが出た時の対処のために完璧を求めて8割を10割にするチェックを細かくするのかで意味が全く違うんです。大体チャレンジの芽を摘むケースで反対する人達が見ているのは10割に達していないことのマイナス。でもそんなことをやっていたら新しさは生産されない。

「生産している空間こそが文化をつくる」というフランスの社会学者の言葉もあります。生産するというプロセス自体が文化と直結していて、消費は文化ではない。町田が成長を遂げていた1950年代〜1980年代くらいの時代は、街がつくられているから文化もできていた。でも今、停滞している状態だとしたら、やはり新しいものをつくっていく意識がある人をどんどん育てていかないと、これからの町田の文化は醸成されないですよね。

まちや公共空間の未来が今後どうなっていったらいいのかに「正解」を求めるのはナンセンスだと思うんです。そんな正解があるなら、皆やりますよね。でもそんなコピペみたいな公共空間やまちは、全然面白くないと思うんですよ。2割のリスクがあったとしてもやりたいことがある人がやってみる、トライしていくことが非常に大事だと思います。

多様な人と出会い学ぶ「向学心」が未来への鍵

−町田市民の皆さんと、シバヒロや市立国際版画美術館でイベントを行う中で、度々「シェア」というキーワードが出て関心の高さを感じました。町田とシェアについて、お考えを聞かせていただけますか?

シェアには2つの解釈があります。「1つのものを皆で分ける」というシェアと、「1人1人が〇〇を持ち寄る」というシェア。

例えば空間のシェアで言うと、今までは「集まる」というのが「皆で何かをする」という意味だった。でもそれは空間の目的や機能が一種類だったから。高度成長の時代は、とりあえず足りないからつくる感覚なので、施設や住まいの在り方も、ライフスタイルや幸せの指標も、日本全国似ていたことに通じます。今は、多様性の時代なので、別々に過ごしている人が一つの空間にいてもよい。その場所や時間をシェアする、というのが現代です。公園の議論でもよく禁止事項が多いと言われますが、本来は子どもと遊んでいる人もいれば、犬と戯れている人もいれば、仕事をしている人もいれば…と。それらを受け止める寛容性を皆が持てれば良いんだと思うんです。

公共空間には「オフィシャル(行政が管理する)」という意味もありますが、「コモンズ(ある仲間が同時にその場所を自分事化する)」という意味もあります。違う使い方が同時に起こるという状態は、一つの公共空間に多様さが同居するということなので、そこでの共存共栄がシェアの価値だと思います。

もう一つのシェアは、1人1人が自分のスキルや能力、持っているものを持ち寄るという意味。こちらのシェアのいちばんの価値は、これからの時代「学び」だと僕は思います。人生100年と言われている時代だからこそ、自分の価値観だけで生きていくのは少し窮屈だと思うんですよね。

世代や性格が違えば、持ち寄るものも1人1人違う。それを「面白がる」というのが現代性だなと。先日「町田を面白がる会」がシバヒロと版画美術館で開催されましたが、ルールは「人の意見を否定しない」ことだったんですよ。5人集まって、違う価値が自分以外の4人から生まれていくことを面白がれたら、そこには絶対に学びがあり自分の可能性も広がります。シェアによって知見が共有されることで、今までなじみの薄かったことにも興味を持つきっかけになる。興味は人間を学ばせるいちばんの「向学心」だし、年齢を重ねても意外と興味は減らないと思うんです。

そういう機会に出会えるのがシェアの大きな価値ですし、いちばん出会える場所が「まち」だと思うんですよね。いろんな人が、いろんな生き方や価値を持ち寄って交錯するポイントだから。

団地の庭を農地に? 既存のルールから脱却しよう

© Urban Renaissance Agency(UR都市機構)

−昭和の時代に建てられた山崎団地を、若者向けになんとか再生・活用できないかという話もよく聞くのですが、どのように思われますか?

団地の中を改修する事例は世の中にたくさんありますが、僕の経験で話すと、以前、千葉のある団地の一室を「くらし研究家」の家として改修した時、その方は農業にも興味があったので、団地の共有の緑地空間も活用しようと管理組合に提案したんですけど、できなかったんです。「なぜ皆が使っていない庭をあなたが使うの?」「やりっぱなしで最後散らかされたら困るのは管理側だから」みたいな話が出てきて。若い人にもっと団地に入ってきて欲しいと言われてたので提案したんですけど、終始、やらない理由探しみたいな感じでした。

都市生活と農業をかけあわせたアーバンパーマカルチャーという言葉があるように、現代では、ある一定数の人は、農業しながら暮らしたいという欲求があるんじゃないかと思います。農耕はすごい原初的な生産ですからね。自分が食べる分が満ち足りてくると、次には、美味しいものがもっとたくさんつくれるならシェアするよ、なんなら売ってもいいよ、みたいになったとしたら、それは単なる団地の庭じゃなくて「農地」になる。そうなると農業の可能性をもっと広げられるし、半分農業・半分仕事みたいな人が増えたら、町田の農業従事者とタッグを組んで、後継者不足に悩むこの街の農業を将来的に支える可能性もある。団地をどうするのかという話に留まらず、もっと発展的にいろいろなものを掛け合わせていけると思います。

今までの団地のルールをそのまま採用しながら中身だけ考えていると、結構ルールが厳しくて、なかなか次の展開にはならないと思うんですよね。住むだけの目的でつくられた場所に、どう多様性を持たせていくか。いろんな使い方や違う産業、住む以外の行為が生まれ、そのミックスが起こると、新しい人につながっていくんじゃないかと思っています。暮らしに繋がる豊かさを拡げて考えられると良いなと。

「芸術の杜」はアート鑑賞の場という意味だけではない

−芹ヶ谷公園の再整備でも、そういうことが生まれる場所になると良いですね。

芹ヶ谷公園は「芸術の杜」というテーマが掲げられていますが、とても良いテーマだなと思っています。知人の東京藝術大学の先生が「芸術というのは、自分の日常や暮らしを一瞬立ち止まって考える、その時間が第一歩で、芸術やクリエイティブな感覚はそこから育まれる」と仰っています。創造行為は誰もが日常から発生させることができるものだと。そういうふうな場になるといいなと思います。

「芸術」ということが、いわゆる現代美術や、美術館で絵を鑑賞するという意味だけになってしまうと、「自分は関係ない」となりがち。でも人間はもともと生産する欲求を持っていて、その行為がイコール芸術だという感覚で物を見始めると、とても楽しくなると思うんです。

そこでつくりたいものも沢山あってよく、新しい遊びをつくりたい人もいれば、クラフトしたい人もいれば、料理をつくりたいという人もいれば、子どもを自然のなかで育てたいという人もいる。ビジネスをつくりたいという人だって良いです。1つ1つは違うんだけど創造的な行為が集まり、自分自身も何かつくることに興味があるかもと気づく人が増えると、それだけで「芸術の杜」の価値が高まると思うんですよね。

中心性・オープンさ・自由度がシバヒロの魅力

−2019年はシバヒロで、市民の皆さんとまちについて語り合うさまざまなイベントを開催してきましたが、シバヒロについてはどう思われますか?

シバヒロは、3つの視点で、とてもポテンシャルがある場所だと思います。

一つ目は、立地がまちの中心部にあること。欧州に行くと、だいたいまちの中心部に広場があり、そこでクリスマスマーケットや、骨董市や、ピクニックイベントなどが行われています。コミュニティの核になるシンボル的な場所が、中心部にあることは、都市計画上もとても有益で、アクセスのしやすさを後から高めることは、通常、望んでも実現できないので、あの場所性が価値です。

二つ目は、特に用がなくても、フラッと来られる居場所であること。シバヒロは、明確な使い方が規定されていないので、いろいろな人が自分の気分で来ることができます。まちの寛容性とは、理由なく居られる場所の量と、居心地の良さに比例する滞在時間です。

三つ目は、余白であること。自宅でも良いけど、外に持ち出したら、もっと楽しいと思うことを皆が持ち寄れる自由度があるのも良いと思います。余白=あそびです。ハンドルにあそびが必要なように、余白は、いろいろなライフスタイルやコミュニティにとって、創造性や将来性を生み出す潤滑油です。

整理すると、シバヒロは、すでに中心性と、オープンさと、自由度を持ち得ている、もしくは、持ち得るポテンシャルがあるので、そこをどんどん伸ばしていくのが良いんじゃないでしょうか。

たとえば、中心部にある割には、存在があまり知られてない気もするので、PRをして市民のなかでシバヒロ行こうみたいな機運を高めたり、オープンさがある割には、行くと所在無い感覚なので、居心地よく座れるベンチや、子どもとゴロッとできる場所や、コーヒー屋台を置いたりして日常の居心地を上げたり、余白として、いろいろな使い方を許容出来るように、可能な限り禁止事項を減らしたり、時間限定で出来ることを増やしたりすると良いと思います。

将来の活用に関しては、いまから検討するなら、なるべくたくさんの妄想や空想を市民から集めたら良いと思います。先日小学生と一緒に、未来の道路を考えるというワークショップをやったのですが、彼らは、ふだん僕が想像もしないような道路の活用方法を提案してきました。アスファルトをはいで、木を沢山植えて、森にして、そこに小屋をつくって木の上で暮らすとか。道をゴムの風船みたいな素材にして、ジャンプしながら移動するとか…。人間の創造力ってすごいなと思い、こういう空想を楽しみながら次の展開を実現することができると良いですよね。

そのときに大事なのは、なるべくシバヒロだけで考えずに、そこに至るストリートや、周りのエリアの楽しみ方も一緒に空想することだと思います。そうすると、駅からシバヒロまでの散策の楽しみ方や、シバヒロと芹ヶ谷公園を同時に活用するアイデアも出そうなので。

−最後に、町田市民の皆さんへ、特にこれからの若手の方々へ、西田さんからのメッセージをいただけますか?

僕は、楽しそうな人の周りには、楽しそうな人が集まると思っていて、やはり自分自身が楽しんでいることが大事だと思うんです。まちではそういうものに出くわしたいし、そういう動きに参加するのもいい。巻き込まれて体験するのも楽しいし、仕掛けたり、つくるプロセスも楽しい。そんな「まち」がいいなと思います。

最近思うのは、「課題」という考え方が息苦しいと感じることが多く、「課題」から発生するものは、そもそもマイナススタートなんですよね。そこから奮起しろと言われても、普通に暮らしていたら、そんなにモチベーションが上がらない。それより、個々人の興味関心や、こういう場所や時間をもっと大事にしたい、面白がりたいという感覚が可能性なんじゃないかと捉えると、全部プラスになっていく。左脳的というより右脳的なアプローチです。

IT業界では、GoogleやAmazonみたいに分野横断的に展開していく手法を「破壊型イノベーション」と言いますが、要は領域内の改良だけでなく、他分野とつながることで新しい価値や体験をつくる感覚なんです。そこで求められているのは、深掘り力も大事だけど、ちょっと良いかもと思ったら繋いだり、やってみること。今までやって来たことを否定するわけじゃなくて、可能性をいろんな角度・側面・領域から見てみる。そうすると、年長者や経験者の知見も活用できるし、ビギナーの面白がる目線も活用できて、年齢を問わず、専門領域を超えて、互いの考えをリスペクトできるようになれると思うんです。

町田は活気があるし、役所でも若い人達を起用しているのがとても良いなと思っています。その未来の可能性こそが、この街のバリューですよね。

生産・創造することが文化をつくり、街の未来をつくる。1人1人がふと気づいた「もっとこうなったら良いな」を、失敗を恐れずまずやってみる。街を楽しみ、街に参加していく。

クリエイティブなまちづくりは、何も大袈裟なことではなく私達の日常とつながっています。町田の新しい時代を皆でつくっていくためには、お互いの違いを面白がり、長所や可能性に注目し、年齢を問わずいろんな人から学んでいこうとする「向学心」が鍵。昔から自由で何でもありの町田だからこそ、市民皆が得意なことや好きなことを持ち寄って楽しむ街になるのは、そう難しいことではないかもしれません。町田の未来にどんどんワクワクしてきた、西田さんへのインタビューでした。

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