INTERVIEW

まちの“居場所”として成長を続ける芝生広場「町田シバヒロ」

2024.03.29

広々とした芝生が広がる、町田シバヒロ。2014年5月にオープンした芝生広場です。

暮らしに溶け込む日常的な利用に加えて、年間を通じてさまざまなイベントが行われ、いまや町田に住む人にとっては欠かせない場所のひとつとなっていますが、誕生から10年の間に様々な成長や変化をともなってきた場所でもあります。

今回はそんな町田シバヒロの管理や運営を行っている、町田市観光コンベンション協会の福栄さんに、これまでの歩みと今取り組んでいる施策などについて、お話を伺いました。

 町田シバヒロって?

 町田駅から徒歩6分程度のところにある町田シバヒロ。総面積約5,700㎡の敷地には競技用の芝生が一面に広がっています。

もともとは、町田市の庁舎があった場所でした。新庁舎ができる際に建物は解体され、その後どのように土地を活用するかは町田市のほうで検討されていました。

広い土地の活用方法はいろいろと考えられそうですが、そこで提案されたのが「のんびりと過ごしてもらえるようなスペースにしたい」ということ。憩いの場所にしたい、イベントもできるような場所にしたい、ということで現在の形になりました。

そんなシバヒロの管理や運営を行っているのが町田市観光コンベンション協会です。

お話を伺った福栄さんは、2011年までテレビのイベントの仕事に携わっていらっしゃいました。しかし、東日本大震災の発生でイベントは自粛、それを機に今後を考え、新しいことにチャレンジしようと決意。その中で出会ったのが町田市観光コンベンション協会でした。

しかし、町田市自体は知っていましたが触れたことがあったのは駅前だけ。「最初の1年は町田市の端から端まで行って、町田市を知ることから始めました」と福栄さん。そしてシバヒロに関わるようになったのは2014年。まさにオープン時からの付き合いとなります。

より市民に近い場所に

いまでは、町田市民にとっては欠かせない存在となっているシバヒロ。そのオープニングはとても華やかなものでした。

福栄さん 「5月3日から3日間にわたって、町田にゆかりのある人をお呼びして全40ステージを行いました。当時は音の問題もなかったので、フルバンドが出たり、太鼓が来たり、キャノン砲が出たり」

 そこから、少しずつ、少しずつ、使い方を模索していきます。そもそも、スタート時点では町田市民にさえ、シバヒロが知られていない状態です。

福栄さん 「シバヒロという単語自体も町の人は知りませんから、認知を広げていくところからスタートさせました。今まで、町田でやったことがないようなイベントをやっていこう、と提案していたんですが、大きなイベントをやっていると一般の人は使えないんですよね。どうやら、これは我々が意図しているものとは違うのかな、と感じました」

 しかし、それも少しずつ変化。

利用者の方が、小さなグループで企画を考えて持ち込み、自発的にイベントをやる機会が最近では増えてきていると言います。

認知が広がったことで、「自分たちでもシバヒロで場所を借りて企画を動かすことができる」ということも理解されるようになっていったのです。

また、シバヒロの周辺の住環境も変化。新しく住む人も増えてきて、それに併せて保育園も増加し、シバヒロはお散歩コースのひとつとなっています。平均7組、多いときでは12組の保育園が訪れるのだとか。

福栄さん 「子育て世代が増えてきて、子育てを補助する場所のひとつとして使われているのかな、ということは見ていて感じます」

コロナ禍におけるシバヒロの意義

 
シバヒロがオープンしてから10年の間で、大きな出来事というとやはりコロナ禍です。多くの人が「ステイホーム」をし、外に出ることが切望されていた時期でもありました。シバヒロは、最初の緊急事態宣言が発令された2020年4月の時以外は開けていたと言います。

ステイホームとは言え、人との距離が離れていれば問題ありません。シバヒロではコロナ禍も「日々、それなりに人がいたような印象があります」。 

福栄さん「パソコンを広げている人もいましたし、リモート会議をしたり。イベントはなかったんですけど、日常利用は多かったと思います」

 逆境の時期ではありましたが、「シバヒロってこういうふうに使うこともできるんだ」と確かめた人も多かったのかもしれません。今ではシバヒロ内でwi-fiを使える範囲も広がり、より使いやすさは増しています。

さらに多くの人たちに知ってもらうために

シバヒロの認知は広がりつつも、もっと増やしていきたいのは利用をする人が主体で場所を活用していくこと。目指すゴールは「シバヒロを使える人が増えていくこと」です。

そのためには、もっとシバヒロを知ってもらう必要があります。認知を広める手段のひとつとして行われているのがマルシェです。毎年、2月、3月、7月、9月、11月の年5回行われています。

福栄さん「何ができる場所なのか、どういうことをする場所なのか、まだまだ伝わっていない部分があります。例えば、毎年同じ日にマルシェがあるとなると、それを目当てに人が来てくれるんじゃないかと思ったんです。月1回、3ヶ月に1回でも、定期的に足を運ぶ瞬間を作ることで、シバヒロに来る習慣、来慣れてもらえるようになるんじゃないかと思ったんです」

マルシェのほかにも、現在シバヒロにはキッチンカーが定期的に来ています。

キッチンカーを目当てに来た知らない人同士が言葉を交わして仲良くなる。やがて「一緒に何かやりませんか」と話し、イベントに発展してく……そんな未来が作れるととてもステキです。実際に、マルシェやキッチンカーがシバヒロに来ることで集まったり、語り合ったりする瞬間も生まれていると言います。

そこからさらに、シバヒロの利用が広がっていく可能性もありそうです。

シバヒロから始まる新たなチャレンジ

コンベンション協会としても10年、シバヒロを管理していく中で、周りの環境の変化も実感していると言います。認知も広がりつつある中で、新しい取り組みとして考えているのは、「メタバース」です。

福栄さん「例えば音楽イベントはバーチャルでやって、食事などは会場に来てもらってリアルで楽しむとか、ハイブリッドでやれないかな、ということは考えています。シバヒロがどういう場所なのか、町田市外、それこそ海外の人にもシバヒロを知ってもらう。バーチャル空間で楽しいと思ったら、いつか本当のイベントに来てもらうというのは、観光としてもアリですよね」

そして、10年かけて少しずつ環境が変わっていったように、これからの10年でも変わっていくと思う、と福栄さん。

福栄さん「どんどん新しい人が増えていくので、既存の枠にとらわれない使い方をしてくれるような人たちにどう宣伝していくか、というところに挑戦したいんですよね。また違う切り口でイベントをしてくれる人にも出会えるかもしれない。例えば、ARを取り入れて、ゴーグルだけをつけて芝生の上をずっと走り回っている、なんてこともあり得るかもしれません」

ただただ、芝生が広がるシバヒロという場所。

だからこそ、可能性は無限大です。これからシバヒロで行われるイベントは、いまの私たちからは想像もつかないようなものになるかもしれません。

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