PEOPLE
アートで少しずつ生活の質を上げていく アーティスト世羅田京子さん
2023.03.25
なかなか気づかないけれど、町田の中には、たくさんのアートが溶け込んでいます。
世羅田京子さんは、町田の駅や町田市民バスで見かける「町田くん」の産みの親。その他にも町田でさまざまなアートを展開しています。
世羅田さんのこれまでの町田でのアートの実践と、そこから見つけ出した町田の可能性についてお伺いしました。
横浜でスタートしたアートの人生
横浜で育ったという世羅田さんは、多摩美術大学に入学、油画で抽象画を専攻していたと言います。その後は出光美術館に就職し、結婚される31歳まで横浜で過ごしながら、OL生活と平行して創作活動に励んでいらっしゃいました。
世羅田さんが出光美術館に入社した当時は圧倒的な男性社会。学芸課に入る予定だったのが、当初は人数が多すぎて総務での勤務だったそう。その後、最終的には学芸課に。仕事の傍ら、アートディレクターの資格をとり、チラシやパンフレットを作るなどされていました。
もちろん、並行して作家活動もしており、ギャラリーデビューはINAXアートギャラリー。大学卒業の翌年には『あめ』という作品でINAXギャラリーで個展を開催していただきました。
その後は、当時、貸し画廊の全盛期だったこともあり、貸し画廊での展示が多かったと言います。
「今思うと美術館や企画展を開催する画廊にも、もう少し強くアプローチしてみればよかったな、と思います」と世羅田さん。
31歳で結婚、それを機に退職されたのだそう。お子さんも2人生まれ、37歳のときに町田市にある鶴川団地に引っ越してきます。
「そのときは夫が事業に失敗してしまって。貯蓄ゼロで家族4人で再スタートを切りました。夫は今、町田で会社を興してうまくいっていますよ」
そしてここから、世羅田さんの町田でのご自身のアート活動がスタートします。
町田での新しい挑戦と学び
町田で本格的にアート活動をするタイミングで出会ったのがコミュニティ・ワークスぺース「マチノワ」でした。
「町田ってアートギャラリー、特に現代美術を謳っているようなギャラリーが少ないんです。いくつか見て回ったんですけど、しっくり来なくて。でも、マチノワに来たときに『この場所はアートと合うんじゃないか』と思ったんです。実際に、何を置いても合うんですよね。最初に作家の方を集めて『7人の作り手展」という展示をやらせていただきました」
今では、マチノワの室内には多くのアート作品が飾られています。
その後、世羅田さんが飛び込んだのが起業スクールでした。そこからさらに世羅田さんのアート活動が加速します。
「スクールに入った2017年は町田未来ビジネスアイディアコンテストの初年度だったんです。そこでアートレンタル(日本の美術家の作品を有料レンタルすることで、美術家の未来を創る)企画を出して町田新産業創造センター特別賞をいただきました。
それからマチノワでグループ展もやらせていただいて、秋にも『標本箱に入ったアート展』を開催したんですが、そのときは大失敗。全然人が来なくて。当時の自分としてはすごくがんばっていたんですけど、SNSの発信の仕方も下手くそでしたね。でも、マチノワではその後もいろんなアートの展示の形を試すことができましたし、いろんな出会いも広がっていきました」
まちの活性化のために誕生した「町田くん」
展示だけではなく、町田の街中を舞台としたアート活動を行っていらっしゃるのも世羅田さんらしい活動のひとつです。
その中のひとつが「町田くん」です。
「ちょっとアートかどうかは謎なんですけど(笑)。2019年に、再度町田未来ビジネスアイディアコンテストに応募しました。小田急線町田駅西口に『町田みんなのプラットフォーム』があるんですけど、そこを活性化させるにはどうしたらいいかということで『町田くん』というキャラクターを提案。それで大賞をいただいて、今は『町田みんなのプラットフォーム』に寝そべっている町田くんが描かれています」
ただ、その直後からコロナ禍に突入。イベントやお店の情報発信の代わりに、SNSでお天気情報を発信。今後はまちやお店情報発信に改めて力を入れていきたいそうです。
「今年は飲食店も元気になるだろうし、そちらにもアプローチしていきたいな、と思います。もともと、自分で発信するツールが欲しかったんですよね。やっぱり情報発信って難しいな、と思うんですけど、ハードルを下げるためにも、漫画のネタがおもしろくなくてもアップするようにしています。
今後の町田くんでは、どんなふうに町田の街を回遊するか、というところを描いていければと思っています。回遊の仕方によって、町田って見え方が全く変わってくるんですよね。町田くんを見てあのお店に行ったよ、とか、こういう回り方をしたよ、と言う言葉が寄せられるようになるのが一番いいな、と思っています」
惹かれた町田での養蚕
そんな世羅田さんが今夢中になっている活動のひとつが「養蚕」です。小野路里山活用プロジェクト実行委員会の傘下にある小野路シルク工房の代表としても活動されていらっしゃいます。
「去年の6月ぐらいに委員会のあるヨリドコ小野路宿のコミュニティスペース「ヨリドコ小野路宿」に行ったんですよ。何かおもしろいことないですか、って。そのときに、小野路竹倶楽部の代表から養蚕をやりませんか、と言われて飛びつきました」
そのフットワークの軽さには驚かされるばかりです。
実際に蚕を繭になるまで育てて、繭玉にし、加工をするところまで行っています。
「ヨリドコで蔵を借りて、去年は1000頭の蚕を飼育しました。それはそれは奥深い世界で。お蚕さんって1ミリぐらいの卵から生まれて、4回脱皮するんです。中指ぐらいのサイズに育つまで、桑の葉をあげるんですけど、その過程がすごく興味深くて。五令になると、桑をあげる端からなくなるんですよ。シャワシャワシャワと音を立てながら食べていくんです。糸を吐いて、繭にするところも本当に綺麗でずっと見てしまいます」
町田では8年前まで養蚕をやっている農家さんがいらして、その方が残していた桑畑を再利用。畑の整備も今は世羅田さんが率いる小野路シルク工房が任されています。今後の課題は、どのように繭を活用していくか、という点です。
「桑畑のサイズから考えると、最終的には5万頭まで育てられると思います。でも、今のところ製品化するほどの量でもないので、どうやって使うのかははっきりさせないと、と思っています。その一環として素人なんですけど、糸をとってみたり、活用のためのワークショップをやってみたりしています。私はアート素材としても使っていければな、と考えています」
「気になったら飛びつく」がモットー
さまざまな活動を行っている世羅田さんですが、木版画作家の石橋佑一郎さんと出会い、石橋さんが刷った版画で凧を制作しているのを目にする機会から、凧作りにも興味を持つようになります。
石橋さんが作られた凧は展示用でしたが、実際に揚げてみたらおもしろいんじゃないかとひらめいたと言います。それをきっかけに、世羅田さんの提案で石橋さんの版で凧を作り、実際に飛ばすというワークショップを企画したこともありました。そのときは天候の問題で揚げるところまではできなかったそうですが、いつか実現したいと世羅田さん。
「石橋さんが地元に帰ってしまったので、私が作った版で凧を作るワークショップは昨年の12月にやったんですね。そうしたら子どもたちが喜んで作っていて。最後の凧をあげるところなんて特に。もうこれは続けようと思いました。
凧をあげると、絶対に上を見るじゃないですか。これはすごくメンタルに良い効果があるな、いいなって思ったんですよ。子供だけじゃなくて本当は大人にもやってほしいです。大人の方が揚げるのが上手いので絶対楽しいと思うんですよ。今は子供向けになってますけど、大人向けの凧あげのワークショップでもいいですね」
アート、と一言で言っても世羅田さんの活動は多岐にわたります。それも、人が想像しないような広がり方に。
「今、53歳なので私の年齢で何かひとつを成し遂げるというよりも、面白そうだな、と思ったら飛びついてしまわないと、時間がなくなってしまう気がしています。ひとつのビジネスを構築していくというよりも、おもしろいからやっている。お金になるかならないか分からないけど、その派生で意外と収入につながっていくな、というぐらいの感じです」
それでも、世羅田さんの活動の中には一貫していることがあります。それは、「出来上がったものが見たい『世界』」だというところ。
「何かビジョンを決めて作っていくのではなく、作品を作っていく段階で色や形がバチッとハマッて一瞬、クリアになった世界というものに出会えるんです。その瞬間に出会いたいからやっているんだと思います」
町田で活動するアーティストが増えてほしい
そんな世羅田さんが町田に住んでいて、感じるところとは。
「町田ってちょっととっつきにくくて閉鎖的なところもあるんですけど、わりと人は協力的なんですよ。続けて頑張って活動をしていると、ちゃんと見てくれているし、助けてもくれる。それが私にとっては動きやすいな、と思います。
町田は生活する場であるということが大前提であるので、イベントで盛り上げるだけではなく、少しずつ活動していって、生活の質が上がっていくようなイメージだと思っています。
ただ、もう少し、町田で活動するアーティストが増えたら嬉しいですね。まだアイディアの段階ですが、『アート99』という若い作家を99人町田で紹介する展示をマチノワの協力も仰いでやろうと思っています。数年がかりになるし、はたして99人いけるか分かりませんが、力いっぱい紹介していきたいと考えています」
町田を舞台に、さまざまなアートを展開し、人の心を掴んでいく世羅田さん。街中で見かけるアートが日常に溶け込み、かつ、街と一緒に思い出に残るアートはこれから広がっていくのではないでしょうか。